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手話か?日本語か?

皆さん、こんにちは。

岩尾です。

 

今日は、手話か?日本語か?の話題です。

 

まず、前提として、

手話と日本語は全く違う言語だということを知る必要があります。

 

厳密に言うと、日本語を手の動きで表した「日本語対応手話」というのもありますが、ろうの方が使っているのは「日本手話」と言われるもので、これは日本語と文法も違うし、語順も違うし、語彙数も違います。

 

全く別の言語なのです。

 

なので、一度に両方を身に付けるのはほとんどの場合難しいと思うので、やはりまずはどちらかを選んで、しっかりと身につけていく必要があると思います。

 

ちなみに、日本手話も日本語も、言語力をしっかりと身に付けることができます。

 

 

さあ、では、どちらを選ぶべきか?

 

これは、一人一人の状況、聴力の程度などによって変わるんですけど、

「聞こえないんだから、まずは手話が自然です」という意見もあるし、

「早期療育で幼い頃から聴覚を使うことで、年相応の言語力を身に付けることができる」という意見もあります。

 

これが、「意見」なだけでなく、双方ともに、好ましい結果を出している事実があります。

だからこそ、一人一人の状況によるというのが、正しい見解だなと僕は思っています。

 

ただ、まずはどちらを選んだとしても、後々、両方できるに越したことはないなと思っています。

 

手話は、聞こえない人のコミュニケーションを楽にします。

補聴器にしろ、人工内耳にしろ、聞こえる人と同じように聞こえるようにはなりません。

音声言語だけでは、気を張り巡らしてコミュニケーションを取る必要があり、かなり疲れるはずです。

日本語ができるなら、日本語対応手話でも全くOKなので、一緒に使えば、楽にコミュニケーションが取れるようになります。

 

一方、今の日本社会で生きていくには、音声コミュニケーションを取る人が大多数です。

疲れはしますが、手話やジェスチャー、ITツールと組み合わせて、日本語の音声コミュニケーションが取れれば、遊びや学び、仕事など、いろんな選択肢が拡がります。

 

もちろん、全く聞こえなければ音声コミュニケーションは難しいですが、可能であれば、両方できるに越したことはないと思っています。

 

その中で、もし、幼い頃、聴覚を使わずに最初に手話を身に付けたとしたら・・・

聴覚は使わなければ使えなくなってしまいます。

聴力の程度にもよりますが、重度の場合、聴覚を遣わずに3歳を超えてしまったら、その後、聴覚を使うのは非常に困難になることが多いようです。

 

ある専門家は、「まずは、日本語の読み書きを身に付けるべき。そうしたら、後で日本語も手話もどちらもできる」と言っています。

もちろん、音声言語はできない場合もあるでしょうが、筆談は可能になるはずです。

 

しかし、一方で、聞こえない子どもたちの気持ちはどうなのか?

活き活きと気持ちを楽に表現し、楽に意思疎通できるのは、確かに手話です。

日本手話なら幼い頃からしっかりとした言語力が育ちます。

言語力が育てば思考力も育ちます。

そして、スムーズなコミュニケーションは豊かな感情が育ちます

 

そういう視点から見ると、やはりまずは手話から入るのが自然なのかもしれません。

 

手話から入れば、日本語を獲得できなかったとしても、言語力は育っているし、手話で意思疎通はできます。

日本語から入って、日本語が中途半端になると、日本語も獲得できない。日本手話を獲得すのも時間がかかる。

しかし、日本語を獲得できれば、後は日本語対応手話ができるようになれば、楽に意思疎通も可能となります。

最近は、補聴器も進化しているし、早期療育で聴覚をしっかり使えるケースも多くなってきている。

早期療育から入って、子どもの状態をしっかり見極められれば、日本語から入っても中途半端になることはないかもしれません。

 

いろいろ推論は尽きませんね。

 

いずれにしろ、言えることは以下の6点かと思います。

 

①可能であれば、手話と日本語、両方できるに越したことはない。

②日本語ができるのであれば、身に付けるのは日本語対応手話でもOK。(ろうの方と話したい場合は日本手話が必要)

③両方手に入れるつもりなら、なるべく早い段階で、聴覚を使えるようにしておいた方がいい。

④いずれにしても、「日本語の読み書き」をしっかりできるようにしておく。

⑤言語力を身に付けるには、日本手話か日本語が必要。

⑥聴力によっては日本語を身に付けるのが困難な場合がある。そのときは日本手話に切り替える。この場合、日本語対応手話はNG。

 

数年前、手話を禁止され、口話を強いられてきた時期がありました。

その当時は、まだ早期発見、早期療育もあまり拡がってなかった時期で、補聴器の性能も今ほどではありませんでした。

そんな中、聴覚を使えていないにもかかわらず、口話を強いられれば、日本語の獲得はできないので、言語力が育ちません。

言語力が育たないということは、思考力も伸びません。

そして、大人になって手話を勉強しようとして、これが日本語対応手話の場合は、結局日本語がわからないと日本語対応手話もわからないため、手話の獲得もできず、言語力も身に付きません。

 

日本手話を教える場は非常に少ないようです。

 

このような状況だったため、日本語もできない、手話もできない、自分は何者なんだ?とアイデンティティが傷ついてしまうケースが多く発生してしまったようです。

そのため、口話は意味がない!使えない!といった嫌悪感が強く広がったのではないかと僕は考えます。

 

なので、日本語を身に付けるには、聴覚を使えているか、読み書きがしっかりできるか、これを基準に考えていく必要があります。

そうすれば、昔のような悲劇を繰り返さずに、言語力を獲得していけるのではないかと思っています。

 

もちろん、事実は小説よりも奇なりです。

決めつけず、しっかり見極めながら対応していく必要があります。

 

僕も正解を伝えようとは思っていません。

そもそも、正解なんてないでしょう。

あるとすれば、それぞれにとっての正解です。

 

しかしそれも、もう一方の道を経験しないことには比較ができません。

人生を2回行うことはできません。

 

だからこそ、確かな情報を得て、その考え方、情報に基づいてしっかりと考え、家族で選んだ道を信じて進むことが大切だと思います。

そして、そこまで考えて選んでも、思わしくない結果であれば、進む方向を変えることは大切です。

 

道を変えるのは、多くの場合、相当な労力を要します。

でも、だからこそ、「うまくいかなければ、やり方を変えよう」と、先に頭に入れてから、選んだ道を進むことをお勧めします。

 

人生は一本道ではなくて、航路です。

いろんな道を選ぶことができます。

舵を切りさえすればですね。

 

 

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